都に流行歌を歌い舞う“白拍子”として評判の祇王(姉)と祇女(妹)という名の美しい姉妹がいました。
ある日、姉妹が清盛の館で舞いを披露すると、姉の祇王は清盛に見初められ、清盛の寵愛を受け、姉妹と母と、館にて華やかな生活を送ることになったのでした。
そんなある日のこと。仏御前(ほとけごぜん)という若くて美しい白拍子が自分の舞いを披露させて欲しいと、清盛を訪ねてきました。
しかし、清盛は「見る必要はない。」と門前払いしようとしました。祇王は仏御前を不憫に思い、清盛にとりなし、仏御前は舞を披露しました。
すると、仏御前の見事な舞いと美貌に魅了され、心奪われ館に住まわせることにしたのです。
清盛の心が離れてしまったことを悟った祇王は、館の障子に「萌え出づるも 枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋に あわではつべき」と書き残して、妹と母とともに館から出て行きました。
ところが、清盛は祇王のもとに使者を遣わせ、事もあろう事に「仏御前が退屈をしているので、舞いを踊って、仏御前をなぐさよ」と伝えてきたのです。
祇王はその清盛の心の無さをただただ悔しく思い、涙ながらに仏御前の前で舞ったのでした。
屈辱を受けた祇王は自身に虚しさを知り、母と妹とともに髪を剃って往生院に出家し、その後3人でひっそりと祇王寺で暮らしました。
それから半年ほど経った頃、清盛に寵愛を受けていたはずの仏御前が祇王を訪ねて来ました。仏御前は清盛の祇王に対する仕打ちに自身を重ね、いづれは我が身かと無情を感じて出家してきたのでした。
それから4人は嵯峨野の小庵で念仏三昧の日々を仲良く送り、余生を過ごしたと言われています。
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