正門。ここを通ると南の郭へ入ります。
門の上には天井がありません。
元々そうだったのか、何かの理由で取られたのかは説明が無かったので分かりません。
門の両側に城壁がせり出していて、侵入者を迎え撃てるように設計されています。
門の石積みのアップ。
精緻に加工され、組み合わされている事が分かります。
南の郭から一の郭へ入る門を望む。
アーチ状の石積みが美しいです。
3枚目の門の石積みのアップ。
石自体が曲線に加工され、精緻に組み合わされています。
美しいです。
一の郭には正殿があったとされています。
一の郭から二の郭に入る門を見たところ。
門の向こうに慰霊碑が見えます。
入口に入る階段の石積みも美しいです。
城壁が灰色の石灰岩なのに比べて、
白い石灰岩が敷き詰められています。
2の郭の城壁の上から城壁を写したところ。
思ったよりも幅が広く、国内の城だとこの上に
塀を回して守りを固めたのでしょうが、
戦いの場では映画で見るようにこの城壁の上に兵士が並んで、
城攻めの敵に対して弓矢で応戦したのではないかと想像されます。
2の郭の反対側から見たところ。
手前に慰霊碑を入れてみました。
奥に写っている、一の郭との間の城壁の曲線が
美しいなぁと思って撮りました。
2の郭と3の郭の間に築かれた城壁。
曲線を強調して撮ってみました。
曲線の頂点部には特徴的なとんがり石が
配置されているのが分かります。
北の郭から記念運動場(馬場?)へ出る裏門。
北の郭は護佐丸によって増築されたと言われている事から、
この門も護佐丸によって築かれたと思われます。
石積みに新しさを感じることが出来ます。
記念運動場から裏門と3の郭を望む。
江戸時代末期、ペリー提督が浦賀へ向かう途中で沖縄に立ち寄りこの城を訪れた際に、
その優美な曲線をエジプト式だと讃えたとされています。
また精緻な築城技術にも驚かれたとも言われています。
ここでペリー提督の名前が出てきたのには驚きでした☆
bravo!数
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bravo! bravo! 済